こころのゆくえ

わたしは数年前からずっと病気を患っていて、それに振り回されてきました。今もそうです。

仕事ができず、人間関係もうまく築けない。
なんとかがんばろうとしても、できない。
はっぱをかけられてもピンと来ない。できない。焦るだけ。
ひどいことを言われたりされたりしても、反論できない。そんな気力がない。

社会的に落ちこぼれ、プライベートでも人と関わるとその人たちと自分を比較して落ち込むから人と会わない。友だちが減る。悪循環。

ふとした瞬間、でもきっと無意識的に、怒りと焦りを感じているのです。

なぜ、こんな病気になったのか、という怒り。
なぜ、こんなに長い間苦しまなければいけないのか、という怒り。
いつまでこんな状況が続くんだろう、という焦り。
いつ治るんだろう、という焦り。
どうしてわたしだけが、という怒り。
わたしってほんとうに面倒で馬鹿だな、という怒り。

世の中のすべてが鬱陶しくて、面倒くさくて、息苦しくて、なぜ生きてるのかわからない。
生きているのが、とてもつらい。
だけど死ぬのもいろいろ面倒だから、とりあえず生きるしかない。

数年前に父をがんで亡くしましたが、「生きたい」と切実に願う人が死んでしまうのに、どうして「生きるのめんどくさい…」と思っているわたしが生きているんだろう?と今でも思います。
できることなら、わたしのいのちをわけたい、と本気で思いました。

長い間、ずっと苦しんできて、ときにはうれしいことやたのしいこともあったけれども、こころの底にはべったりとした怒りや悲しみがこびりついて剥がれず、それらを帳消しにしてしまいます。

ある時、この病気の原因を作った人たちをわたしは許せなくて殺意すら覚えていることに気づき、あわててカンセリングを受けました。

もちろんほんとうに殺すわけがないし、そのくらいの分別はついていますが、カウンセラーさんは、それだけひどいことをされたんだから、それは「ごくごく自然な感情」で、思い悩むことはない、と言っていました。

「ごくごく自然な感情」すら、わたしは「自分ごと」とは思えなくなっている…。これは感情の欠落です。
苦しいことやつらいことから自分を守るために、感情を押し殺している。もうあんな思いをするのは嫌だから。相当こじらせた。ああ、めんどくさい。


出口が見えないトンネルを歩いて行くのは、ほんとうにつらいことです。

しかし、つらい、つらい、と誰かに訴えたところで、何になるわけでもなし。
仕方がないから、耐えていくしかないんだろうと思いつつも、それもやっぱりつらくて、なぜ耐えなきゃいけないのかわかりません。


誰かを恨んでも、自分を責めても、どこにもやり場がないこころのゆくえ。
ずっと同じところをぐるぐると回っている。
やれやれ…。